遊歩豆辞典

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杵築(きづき)大社

約350年前、出雲国松江藩初代藩主、松平直政が当所を御用屋敷と定め鷹狩場であった屋敷と伝えられている。 また松平直政は三代将軍家光の従兄弟に当たり、徳川家との縁も深い。徳川幕府の繁栄と天下泰平を祈願し、 この地に出雲の杵築大社(現出雲大社)と稲荷神社の両社を創建された。戦後商売繁盛の神「えびす様」を 出雲の美保神社より合祀し「大黒様」と共に二福神を祀る神社として、人々から熱く信仰されている。 境内のは八坂神社、富士浅間神社、金毘羅様、弁天様も祀られている。

本村公園

武蔵境駅から境浄水場までの引き込み線跡に、昭和59年に遊歩道と公園として生まれ変わりました。

延命寺

真言宗智山派の寺院で八幡山と号し、関前村と呼ばれていた当地周辺が開村した寛文12年(1672年)頃に、 八幡神社と共に創建したものと推定されているといいます。多摩八十八ケ所霊場2番、関東九十一薬師9番札所、 また武蔵野吉祥寺七福神の毘沙門天・寿老人となっています。延命寺所蔵の護摩炉は、武蔵野市有形文化財に 指定されています。ここには太平洋戦争で現在の武蔵野大学付近に投下された250K爆弾の破片が野外に展示されています。

関前八幡神社

社号・八幡神社、祭神・応神天皇で武蔵野市八幡町にある神社です。当地周辺関前村が開村した寛文12年 (1678年)に創建されたとされます。明治40年村社に列格していました。

武蔵野中央公園

三鷹界隈は戦前は軍都として軍需産業の栄えた地域で、その一つに三鷹駅の北側で今の武蔵野楚緑町付近に 中島飛行機武蔵製作所があった。空襲で破壊された工場跡地は、戦後西半分は米軍住宅地として昭和48年まで 使われたが、今は都立武蔵野中央公園となっている。一方東側半分はグリーンパーク球場というプロ野球ヤクルトスワローズ の前身国鉄スワローズのホーム球場として開設された、収容人員5万1千人という規模の球場であったが諸般の事情から 球場の使用は1シーズンで終わり、球場跡は日本住宅公団が土地を買い、現在は武蔵野緑町パークタウンというマンション になっている。

グリーンパーク遊歩道、堀合遊歩道

グリーンパーク球場の開設に伴い観客を輸送する手段として、三鷹駅と武蔵野球場前の間を鉄道が敷設され 電車が走った。しかし都心から遠く設備の悪さから、1951年の1シーズンのみで閉鎖されることとなる。 「武蔵野競技場線」もよく1952年から休止状態となり、1959年11月1日に正式に廃止された。 武蔵野競技場線の跡地は昭和59年に遊歩道として整備され、三鷹市内が「堀合遊歩道」、武蔵野市内が 「グリーンパーク遊歩道」として、武蔵野中央公園を訪れる人たちの散歩コースにもなっている。

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