遊歩豆辞典

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千鳥窪貝塚

大森第七中学校の南側にあり、昭和23年(1948年)の調査で、縄文時代中期(約4500年前)に埋葬された 男性の人骨が発掘されました。この人骨は。頭部が鳥の形をした鹿角聖の剣様の角器を胸に抱いています。これは全国的に みて30例に過ぎず、埋葬された人は呪術師か村長と思われます。この貝塚からは、土器、石器、角器、貝類等も 出土し、貝類ではハマグリなど16種類ありました。このほか大型のサンゴ塊が出土し、当時の気候が今より温暖で あったことが分かります。

久が原小学校内遺跡

氷河時代末期(約25,000年前から約12,000年前)に営まれた区内最古の遺跡です。昭和53年(1978年) 関東ローム層の中から焼礫(しょうれき)が発見されました。調査の結果、当時の人々(新人)が使用した調理場の 後である焼礫群、炉跡、叩き石、台石などの道具類、使用した礫器、皮はぎ機などの石器類が出土しました。

東部八幡神社

神社は神護元年(766年)宇佐神宮より当地に勧請されたと言われている。旧馬込領の鎮守が東部八幡神社で 本殿が弘化元年(1844年)再建、拝殿が文久2年(1862年)築と伝えられ、江戸末期の神社建築の特色を 示しています。かっては茅葺屋根でしたが使用和52年(1977年)に火災予防のため銅板敷きになりました。

久が原遺跡

旧石器時代から中世までの複合遺跡で、特に弥生時代後期から終末期、及び紀元1から3世紀頃にかけて形成 された、区内を代表する遺跡の一つです。出土した土器は「久が原土器」と呼ばれ、南関東地方における弥生時代 後期の土器編年の一つの基準となっています。現状で「久が原遺跡」を直接見学することは出来ませんが、久が原南台 児童公園には遺跡の解説板が設置してあり、弥生土器を模したデザインの柵や「銅鉾絵画」が描かれた塀を見られます。

長栄山大国院池上本門寺

日蓮大聖人(1222-82年)の入没後、日蓮宗に帰依していた池上宗仲が屋敷の一部を寄進したのが始まりです。 主に関東の武士の庇護を受け、江戸時代には大名や有力町人らの信仰を集めました。また、戊辰戦争では新政府軍 の本営が置かれ、勝海舟(1823-99年)が江戸城無血開城の交渉に訪れたことでも知られています。

万両塚遺跡霊園

呑川の左岸南東に張り出す標高約25m前後の舌状台地にある「不変山永寿院」の敷地内に所在します。2003年 終了した調査では、万両塚の周囲から、弥生時代中期から後期の竪穴住居跡10棟も出土した。また、馬の尻部分 を飾る馬具が見つかり、およそ6世紀前半と見られている貴重なものである。

本門寺公園

日蓮宗の大本山・池上本門寺の東側の土地に広がる公園である。1938年当時の東京市の公園として開園した。 1951年に大田区の移管され、1966年にはディキャンプ場が新しくなり、多くの人に利用されている。

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