遊歩豆辞典

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東覚寺(福禄寿)

  真言宗豊山派の東覚寺は、白龍山寿命院と号します。東覚寺は、延徳3年(1491)源雅和尚が神田筋違いに創建、   根岸への移転を経て、慶長年間に当地へ移転したと伝えられています。江戸時代には、寺領7石の御朱印状を拝領したといいます。   ご府内八十八ヶ所霊場66番札所。豊島八十八ヶ所札所、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場29番札所、谷中七福神の福禄寿。

 
  
  

青雲寺(恵比寿神)

   臨済宗妙心寺派寺院の青雲寺は、浄居山と号します。江戸時代より花見寺として親しまれており、谷中七福神の恵比寿神が祀られている他、滝沢馬琴の筆塚碑、硯塚の碑があります。  

修性院(布袋尊)

  日蓮宗寺院の修性院は、運敬山と号します。天正元年(1573)豊島郡田中村(現練馬区南田中)に創建、   寛文3年(1663)当地に移転したと伝えられています。江戸時代より花見寺として親しまれており、谷中七福神の布袋尊が祀られています。

天王寺(毘沙門天)

   護国山天王寺は、もと長耀山感慶寺尊重院という日蓮宗寺院として、鎌倉時代に創建され、9ヶ院を擁する本寺でしたが、不受施派に対する    禁令により天台宗に改宗しました。享保年間には富くじ興行が許可されたことで、賑わい、湯島天満宮、目黒不動龍泉寺と共に江戸の三富と称されるほどに    賑わっていましたが、上野戦争では、当寺に彰義隊の分営が置かれたことから、本坊と五重塔を残しえ堂宇を全て焼失、さらに    昭和32年の放火心中事件で五重塔を焼失しました。谷中七福神の毘沙門天が祀られています。

長安寺(寿老人)

  臨済宗妙心寺派の長安寺は、大道山と号します。長安寺は、老山和尚禅師(享保9年 1724年)が開基となり、長安軒として安藤右京亮屋敷内に創建、 正徳2年(1712)大道山長安寺の寺号が認められ、当地に移転したといいます。上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場22番札所、谷中七福神の寿老人です。

護国院(大黒天)

  護国院は寛永寺の子院で、寛永元年(1624)釈迦堂の別当寺として、現在の東京国立博物館の右手奥に開創、承応2年(1653)・延宝8年(1680)に 寺地を西方へ移転し、さらに宝永6年(1709)当地に移転したといいます。三代将軍家光から贈られたと伝えられる大黒天画像は谷中七福神の一つとなっています。

弁天堂(弁財天)

  弁天堂は、寛永寺の伽藍の一つで、龍泉弁天院を開基した備中松山藩城主の水谷伊勢守により建設されました。 弁天堂に祀られている弁財天は谷中七福神の弁財天です。

谷中霊園

  台東区谷中七丁目にある都立霊園。旧称鵜谷中墓地、面積10ha、およそ7000基の墓がある。 徳川15代将軍慶喜や鳩山一郎・横山大観・渋沢栄一、長谷川一夫などが眠る。

五重塔跡

  天王寺寺五重塔は寛永21年(1644)に建立されたが、明和の大火で焼失、寛政3年(1791)に再建された。 寺田露伴の五重塔はその再建工事を素材としている。再建された総檜造りの五重塔は、高さが(34メートル余) 関東で一番高い塔だった。残念なことに昭和32年に放火によって焼失した。

           一部引用:ウィキペディア

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