遊歩豆辞典

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熊野神社

熊野神社は、日本武尊が東夷征伐のとき、当地小手指ケ原で、天稲日命、天夷鳥命を祭祀創建した   出雲伊波比神社の論社だといい、当社の存在により下藤沢郷と呼ばれる地名が起こったといいます。   戦国時代には熊野神社(藤沢)と称していたといいますが、江戸期には寄木明神社と称し、天正19年   徳川家康により社領10石の御朱印状を拝領したといいます。明治2年熊野神社(藤沢)と改め、明治5年   村社に列格しています。

久保稲荷神社

久保稲荷神社は、創建にあたり桜のある場所に二匹の白狐が現れて伏見稲荷大社(京都府)から分霊を迎えたと いう口伝があり、そこから桜の木を「白虎の桜」と名付け、近郷近在江戸にも信者が広がり、信者の中から狐塚と手水鉢が 奉納され、江戸時代後期の信仰者の範囲や信仰の様子を伝えるものとして貴重な資料です。

富士見公園

富士見公園は、地域の人々のスポーツやレクリエーションの場になっていることに加え、地域防災の拠点としての 防災公園の目的の兼ねて昭和56年に開設されました。

彩の森入間公園

彩の森入間公園は昭和48年に返還された米軍の基地跡に建設されました。
広さは約15ha。園内には芝生広場、「上池・下池」の大小の池があり、上池に噴水とデッキがあります。 全体的に緑が多く鬱蒼とした雰囲気があるので、散歩・散策には向いている公園で晩秋になるとポプラ並木が 美しく黄葉するそうです。

稲荷山公園

広さ約16.5haの県営の都市公園で、彩の森入間公園と同じく戦後米軍が使用していたジョンソン空軍基地の 一部が返還されたものです米軍がこの地を接収した際、基地内の公園として整備したもので、米軍時代は「ハイドパーク」 という英語名があり返還後も周辺住民には長く呼ばれていました。春には桜の名所になり、また防災公園としての機能も 持っています。

狭山市立博物館

稲荷山公園の中にあり、展示ブース1番は狭山の歴史絵巻、2番は狭山の地形形成の歴史、3番は生命の進化、 4番はアケボノゾウの骨格標本、5番は狭山の野生動物、6番は智光山公園の昆虫、それだけでなく実物資料、 復元模型、レプリカ、映像などを駆使して展示されています。

                一部引用:ウィキペディア

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