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金井原古戦場跡の碑

  南北朝時代の正平7年(1352)、南朝方の新田義貞の子義宗・善興等が宗尊(むねよし)親王を奉じて上野(現群馬県) に挙兵、武蔵野を舞台に北朝の足利尊氏と戦った。世にいう武蔵野合戦である。同年閏2月20日、20万騎に及ぶ大軍が 人見原(府中市若松町)から金井原にかけて戦いを繰り広げ、その後、尊氏は石浜(台東区)へ軍を動かした。 昭和11年3月4日に東京都史跡(昭和30年旧跡に変更)に指定されている。昭和34年に霊園通りと小金井街道の 交差点に「金井原古戦場」碑が建立された。

武蔵野公園(都立、1969年8月1日開園)

  野川に沿って残る草原や雑木林を配した、野趣に富んだ公園。東京都の各公園や街路に植える苗木を育てる苗園を持ち、 散歩しながら木々の育成の様子を観察することができます。4月中旬には、園路沿いのサトザクラが、見事な花のトンネル を作ります。また、浅間山公園、多磨霊園、野川公園、神代植物公園、深大寺、国立天文台などと一体になって武蔵野 の森をつくっています。

野川公園(都立)

豊かな水と緑に恵まれた野趣に富む公園です。野川公園の前身は、国際基督教大学のゴルフ場です。 昭和49年からゴルフ場を買収し、その周辺の深大寺植物園、多磨霊園、調布飛行場、浅間山公園、府中の森公園 などの緑地を含め「武蔵野の森構想」のもとに造成を行い、昭和55年6月に開園しました。
この公園は、調布、小金井、三鷹の三市にまたがり、野川と東八道路とで三つの地区にわかれています。 国分寺崖線に接し、豊かな自然が残されている野川の北側、野川と都道に挟まれた起伏のある芝生広場、そして 広々とした芝生広場とテニスコート・アウレチックのある南側。緑にひたり、のびのびとした気分を味わうことができます。

野川公園自然観察園

数少ない貴重な植物群の学習の場として昭和63年6月に一般開放されました。園内には昔、多摩川が武蔵野の 台地を削ってできた河岸段丘「国分寺崖線」があります。この崖下からは地下水が湧き出していて、四季折々の 野草や野鳥、昆虫なぢが見られ自然の宝庫となっています。また、自然観察園の対岸にある自然観察センターでは、 野川や国分寺崖線を中心とした自然と人文についての展示、解説のはか、自然観察会などの催物を行っています。 この貴重な自然を守り、維持管理作業をしているのがボランティアで、現在100名が四季を通じて活躍しています。

野川公園自然観察センター

野川公園を訪れる人が、自然との触れ合いを学ぶ施設として、自然観察園と共にオープンしました。 自然観察園を中心に野川公園の見どころ情報や、植物、野鳥、昆虫などについて展示・解説しています。 また、ボランティアによる自然観察会や手細工教室、レンジャーによるガイドウォークなども開催しています。

          一部引用:ウィキペディア

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