遊歩豆辞典

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住吉神社

 南北朝時代の応安2年(1369)延命寺の開山・季龍和尚が故郷の住吉大社を勧請し、伽藍鎮守として   奉斎したことを創祀とする。戦国時代の永承10年(1513)領主の三田氏宗・政定父子が拝殿を再建、   種々の神宝を奉納して青梅村の総鎮守とした。江戸時代に造営された本殿・幣殿・拝殿が一体として 残り、また青梅宿の町人文化の高さを伝える遺物が残されている。 旧青梅街道に面した参道入口に一の鳥居、参道中ほどに二の鳥居が建つ。 どちらも東京では珍しい住吉鳥居である(明神鳥居系で、柱が四角)。 毎年5月2・3日に開催される「青梅大祭」はこの神社のお祭りである。

永山運動場

 JR青梅線・青梅駅の真北の青梅丘陵に位置し、総合運動公園、運動施設、キャンプ場などの公営レク レクリエーション施設『風の子太陽の子広場』、自然観察施設などが包括されており、   JR東日本の外郭団体による青梅鉄道公園や永山ふれあいセンターも隣接している。

天寧寺 (曹洞宗・梅華林高峯山天寧寺)

 御本山は永平寺で、曹洞宗永平寺に属する関東地区の名刹である。 寺の創立は寺伝によれば、天慶年間(九三八~九四六)に平将門が創建した真言宗高峯寺が兵火に 罹り堂宇は焼き尽され廃寺となったが、文亀年間(一五〇一~〇四)、此地の領主将門の後胤三田弾 正の帰依によって、曹洞宗甲斐国中山広厳院(寛正元年(一四六〇))の末寺として伽藍が再興され 鐘楼の鐘は当地方を治めていた三田弾正忠政定公寄進の大梵鐘で国重要美術品です。 江戸時代には近郷に三十七ヶ寺の末寺を擁し、慶安2年(1649)には寺領20石の御朱印状を拝領した といいます。 たびたび火災にあい、堂宇のうち、本堂、禅堂、中雀門、通用門、書院などは江戸時代中期、また、 総門、山門、鐘楼、庫裏などは江戸時代末期の建立です。

吹上しょうぶ園

 吹上しょうぶ公園は、貴重な谷戸地(やとち)を保全するためにつくられました。 丘陵の一角、勝沼城跡歴史環境保全地域に囲まれた谷戸と、その周辺の環境資源を活かし、 ハナショウブを主体とした公園として整備しています。 菖蒲の数は、およそ30,000株であり、例年の見頃は6月上旬~下旬頃

青梅市

 東京都西部の西多摩地域最大の市。立川市、八王子市、多摩市と共に都下の業務核都市の一つに 指定関東山地と武蔵野台地にまたがり、中部を多摩川が東流する。青梅街道の宿場町として発達。 古くから綿織物が盛んで、青梅縞、青梅綿として知られ、第二次世界大戦前まで夜具地を多産した。 山間部では林業が盛ん。だるま市(1月12日)、青梅大祭(5月2・3日)は有名。1967年に始まった 青梅マラソン(2月)には、海外からも含めて約15,000人が参加するマラソン大会となっている。

          一部引用:猫の足あと、古今御朱印研究室、ウィキペディア、他

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