遊歩豆辞典

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井田是政(井田是政の墓)

  井田是政は畠山重忠を祖とする小田原北条家の家臣です。 八王子城の攻防に負けてこの地に流れてきて土着、開拓に励んで村の基礎を築いた人です。 但し鎌倉時代からの土着の豪族でもあったようで、競馬場の墓の板碑が物がたっています。 八王子城の攻防後流れてきたのは他に高橋氏、富永氏、小磯氏がいました。

三岡家と長屋門

  三岡図書と言う武田の家臣が土着して豪族になった。枕流亭と言う小舎があって太田蜀山人の書いた物が多数あった そうです。その一つが郷土の森に残っています。「美女は悪女の情けに如かず、嫌うなかれ。二満と三平阿亀と 阿徳阿多福ことごとく延命の名」郷土の森の「長屋門」は三岡家の門です。江戸時代(1829)に建立。

天満宮

 祭神は菅原道真・里正安右衛門の持。神体は画幅の「渡唐天神」(紹巴の讃あり)彼の先祖は三岡図書として 武田の武士なりといえり。延宝検地の時、此の地除かる。名主であった三岡家が勧進したもので守護神として 祀ったものであろう。現在の神体は彩色木造の神体(20cm)で渡唐天神画幅は三岡家に所蔵されている。 連歌師紹巴の賛「晴香千里外 北野一条梅 神徳不曽画 看古往来」とあります。

是政八幡神社

 天正18(1590)年八王子城落城の後、この地に移り住んだ北条家臣高橋兵部丞吉次と言う人が京都 石清水八幡宮を勧進したものです。ご祭神は誉田別命日は9月15日。北条氏照の家臣高橋孫三郎が 八王子城で戦死後その子が母と共に是政に居住した。長じて高橋兵部丞吉次となった。

鹿島神社(横山党の懸仏)

 祭神は武甕槌神。付近はもと横山村といい、武蔵七党の一つ横山党の一族が住居したところ(12軒)。 神社の北方に横山屋敷と呼ぶ一画があり横山氏本家の屋敷跡と言う。神社はおそらく横山氏の祖先が 勧進したもの。ご神体は銅製の懸け仏(40cm)で鎌倉時代のもの、他に弥勒・文殊(鉄製)や大黒がる。

西蔵院(鼻取地蔵物語)

 是政山西蔵院は地蔵縁起によれば、平安末期の人王七十五代崇徳天皇の御字。宝延元年(1135)の開創。 文明6(1475)年権大僧都源輿により中興。ここには妙勘堀があり橋もあった。蛍の生息地であった。 延宝3年に現在地に移った。現在の本堂は明和年間安永8年地蔵堂再建、この頃は馬の市が盛んで市の日には 参拝人で賑わった。

善明寺(鉄の仏の善明寺)

 阿弥陀の大仏を本尊とする。山号を悲願山。叡山の安楽寺を本尊とする律寺である。本寺は神戸にあり、古刹で あった。延享元年(1844)回月輪王寺宮一品法親王の高許を得て、依田伊織の祖先の館跡に移し山門安楽寺派 の律利とした。伊織は是政の玄孫。鉄造阿弥陀仏座像・立像は、いずれも国指定重文。立像に悲話あり。

依田伊織とは

井田摂津守是政の玄孫。天和元年(1681)府中帆町の五十嵐家に生まれる。本名貞鎮といい、編無為と号す。 神学仏学等を極めた高名な学者。善明寺を現在地に移した人物。

          一部引用:「府中・続府中の風物詩」・ウィキペディア他

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