遊歩豆辞典

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白滝神社

 白滝神社の由緒は詳細不明ですが、この土地の郷士だた代継縫乃介という人物が自邸の鬼門除けとして、 日本武尊の御霊蹟に不動明王を崇めお祀りしたのが始まりとされています。 元々は不動堂だったのですが、明治の神仏混淆の禁止によって、名前を白滝神社と改めました。 その後1912年(明治45年)に天照大神をお祀りする神明社を合祀し、現在に至っています。

眞城寺

 観応2年(1351年)足利基氏が開基で、大光禅師復庵宗巳を講じて開山したとされる。 その後寺は荒廃したが、天正7年(1579年)に八王子城主の北条氏照が再興したと伝えられている。 江戸時代中期の梵鐘や一字一石経塚があり、境内の入口にある枝垂桜は毎年見事な花を咲かせ、 あきる野市の天然記念物に指定されている。整備された境内では、四季折々の花がみることができる。

観音寺

 臨済宗建長寺派で寺伝では、足利基氏が開基とされるが詳しくは不詳。嘉吉元年(1441年)5月広徳寺 2世江印徳西堂和尚が隠居創立している。本尊は聖観世音菩薩。境内にある薬師堂は昔睦橋通りにあった ものを移している。

出雲神社

創立年代不詳。もと出雲大明神と称し、維新のさい現社名に改称、島根県の杵築大社勧請。 埼玉県入間郡宮寺の出雲祝神社お同じく、当国分社の一つである。四時の祭典その他に旧儀を遺していたが、 臨済宗渕上山観音寺別当となり、神仏分離令により神官の奉仕となる。  

引田八雲神社

 引田八雲神社の創建年代不詳ながら永禄年間(1558~1569年)の創建と伝えられ、志村肥前守景元が 津島牛頭天王社を勧請した天正17年(1589年)再興、明治3年八雲神社と改号、村社に列格しています。

宝泉寺

 山号は竜淵山といい、本尊は薬師如来である。もとは五日市小和田広徳寺末寺であった。 寺伝によると、後奈良天皇の天文年間(1532年)に小田原城主北条氏康が、一小庵を開いて、薬師如来を奉安 したといわれている。当時は村の東北方下原九字仏土と言う所に在った。天正17年10月に現在の地に移って、 初めて一寺を建立し、以雲心禅師を請うて開山した。禅師は慶長18年3月21日入寂している。 嘉永4年2月8日に火災にあい、堂宇悉く焼失したが、堂6年3月になって、海老沢雷翁によって再建された。 その後、明治30年3月5日隣村増戸村山田よりの出火で、類焼して、本堂庫裏などが失われた。 しかし明治41年に本堂を再建し、昭和42年4月23日には待望の庫裏も再建された。

          一部引用:ウィキペディア

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