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旧多摩聖跡記念館

 明治天皇は、明治10年代、30歳代の頃、連光寺の山や多摩川にて兎狩り(明治14年・1881年2月)や鮎漁(同年6月)を 行うため当地を訪れ、1882年(明治15年)2月、1884年(明治17年)3月を含めて4回ほど当地を訪れている。 多摩聖跡記念館は、この御幸をしのび田中光顕らにより造られたもので、大正天皇が武蔵陵墓地に埋葬された折、京都(伏見) に埋葬されている明治天皇を偲ぶ記念館を関東に、ということで造られたものである。館は近代様式鉄筋造り、両袖の付いた 円形の大殿堂で、設計は関根要太郎と蔵田周忠で、オーストリアのウィーン分離派とドイツのユーゲント・シュチィールと呼ばれる 建築デザインの影響がみられ、多摩地区の近代建築の中でも大変貴重なものである。

都立桜ヶ丘公園

 桜ヶ丘公園は全体面積の8割が雑木林で覆われた丘陵地です。その中で最も高い「大松山」の頂きに旧多摩聖跡記念館が あります。江戸時代には桜の名所として知られていました。

大谷戸公園・連光寺公園

 大谷戸公園、連光寺公園は桜ヶ丘公園を中心に3つの公園がつながっていて、園内は特別な区切りがなく、大きな一つの 公園として利用sれています。

高西寺

 曹洞宗寺院の高西寺は、神明山と号します。高西寺は、富澤家は平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、 鎌倉幕府の有力御家人であった畠山重忠から17代の子孫富澤政本が、連光寺村の地を攻略し、ここに定住したといい、 代々連光寺村の名主を世襲した富澤家の当主が父の菩提寺として、慶長4年(1599)に創建したといいます。

          一部引用:ウィキペディア、他

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