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柴田勝重

 戦国武将柴田勝家の孫です。勝家が豊臣秀吉と一戦を交えるまえに、勝家の黄金の兜を勝重に託し、家臣と共に福島の 地へ逃れさせ、戦後、徳川家康に召し出されて上野国の一画を与えられたが、大阪夏の陣の功として、中仙川及び入間郡 藤沢村500石を加増され土着したものです。仙川村の春清寺を中興開基し、勝淵神社に「兜塚」を造っています。墓は春清寺にあります。

春清寺(しゅんせいじ)

 曹洞宗の寺院で本尊は釈迦如来。山号は大原山。創建は1602年(慶長7年)旗本で青山百人組の一人 大原春清が草庵を建てたのが始まり。後に柴田勝重によって改築され、勝重以下三代の柴田氏の墓も ある。境内には黄金の大仏、他に庚申塔や青石塔婆、鐘楼、舎利塔、中興開基した柴田勝重の墓石の 宝筐印塔があり、柴田家一族20基の墓標が建てられている。

中嶋神社

 創建年代等は不詳だが、弘治元年(1557年)古宮山にあった稲荷神社と、境内にあった稲荷神社の2社を 慶長3年(1598年)ここに合祀、明治6年村社となった時点で中嶋神社と改称。社地奥に中仙川不動があり、 宝物として、新田義貞の手旗と、義貞の部下で屈指の強兵といわれた篠塚伊賀守自筆の、鎌倉追討に 際しての願書(元弘3年(1333年)5月)が所蔵されていたといわれたが、現在は不明。 広々とした芝生広場とテニスコート・アウレチックのある南側。緑にひたり、のびのびとした気分を味わうことができます。

勝淵神社(かづふち)

 祭神は水波能売命(ミツハノメノミコト)。「ミョウジンサマ」と呼ばれ水の神、お産の神とされています。 柴田勝家より与えられた兜を水神の森に鎮めて社殿を建立し勝淵明神社と号したといい柴田勝重が 作った「兜塚」があり、柴田勝家の黄金の兜が埋められた塚があります。

仙川平和公園

 桜の公園として親しまれている仙川の両岸にまたがる面積約11,000㎡の広さを持つ落ち着いた都市公園 長崎の平和祈念像を原型に作成された平和の像は、井の頭自然文化園にあるものをやや小型にしたもの。 またいわれのあるプラタナスの木や、アンネ・フランクのバラが植樹されています。

井の頭弁財天

 井の頭弁財天は、天慶年間(938-946)に関東源氏の祖・源経基が弁財天女をこの地に安置したのが始まり で、その後、建久8年(1197年)源頼朝が宮社を創建。正慶2年(1333)新田義貞が鎌倉北条氏と対陣する際 に戦勝祈願を行ったとも伝えられている。徳川家康も何度か訪れたとされ、井の頭池の水でお茶をたて、 その時に使用したとされる茶臼が弁天堂に伝えられている。井の頭池は江戸の水源とされ、上水路が 神田川です。

          一部引用:ウィキペディア、他

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