太宰治は1939年(昭和14年)9月1日東京府北多摩郡三鷹村下連雀(現東京都三鷹市下連 雀)に転居してきました。そして、1948年(昭和23年)6月に自死するまでの9年間に、「斜 陽」「走れメロス」「人間失格」などの作品を発表しました。そんな三鷹時代を偲ぶよすがとし てこのコースを歩いてみて下さい。現存するゆかりの場所はほとんど消滅していますが、太宰 が暮らし、歩き、執筆し、飲んだ三鷹を、時空を超えて感じて下さい。
1929年(昭和4年)に作られた、この近くに仕事部屋があった太宰治は、この陸橋が好きで 「いい所がある」と言って、編集者や弟子を連れて来ていた。写真家田村茂が撮影したマント 姿で遠い空をじっと見つめる写真や階段を下る写真は良く知られている。
太宰治が疎開先金木町から三鷹に帰り、最初に仕事部屋とした所で、作品「朝」に登場する。 ここでは作品「メリークリスマス」「ヴィヨンの妻」を執筆した。
美容師山崎富栄が、三鷹駅前の美容院で働くため下宿した場所、太宰治が1947年(昭和22 年)の初秋から最後の仕事部屋にした場所、2人は遺書を書き遺品を片付け、1948年6月13 日深夜、玉川上水に……
太宰治が生きたまち三鷹の拠点となり、情報交換と発信の場をそして市民の交流の場となっ ている。太宰が通った「伊勢元酒店」の跡地に2008年(平成20年)3月、開設され2022年 (令和4年)3月ブックカフェ機能を追加しリニューアルオープンした。
太宰治と山崎富栄さんが入水した場所の近くに設置。太宰治は玉川上水を散歩する時、滝の ような流れだったこの場所が好きだった。編集者や作家仲間を連れてきた場所。故郷金木町(現、 五所川原市)産の玉鹿石が置かれている。
井の頭恩賜公園は大正時代に開園し、2017年には100年を迎えました。また、隣接する井の 頭自然文化園も開園70年を迎え、共に歴史のある都市近郊公園として歩んで来ました。現在 では、周りに住宅や商業施設が押し寄せ、空から見ると、都会の中の奇跡的なオアシス空間の ような存在になっています。特に、井の頭恩賜公園内の井の頭池は、渡り鳥などの水鳥も多く 飛来し、訪れる人を楽しませてくれています。
【一部引用:みたか散策マップ・各種パンフレット•他】