当社の起源は敏達天皇の二年八月といわれ、千四百年年余の歴史を誇っている。「日本三代 実録」で官社に列せられたとの記あり、その後「延喜式神名帳」にも当社の名が記されている。 幾度かの戦火をくぐってきたがその古の姿は「江戸名所図絵」等に「鈴森八幡宮」の名で記録 され、多くの参拝客で賑わったと伝えられる。
浜川町と元芝の鎮守の御社•氏神様として仰ぎ親しまれる天祖神社•諏訪神社は古く神明 宮・諏訪社と称し、かっては両社とも東京湾に面し立会川を挟んで並び祀られていた。天祖神 社創建は、建久年間の記録から西暦1100〜1190年頃と思われ、諏訪神社は松平土佐守下屋敷 近くにあり、寛永八年(1631)以前の創建と思われる。
承応元年(1652)権大僧都弘尊法印の中興で、真言宗海照山晋門院品川寺と号し、本尊水月 観世音菩薩は太田道灌公の念持仏と伝えられている。寺宝の大梵鐘から「鐘の寺」と呼ばれて いる。安置されている毘沙門天は御丈三尺余、足利期のものと思推せられ高野山伝来の由緒深 き御尊像として信仰を集める。
飛鳥から奈良へ、和銅二年(709年)の創建。龍神を祀る元品川宿の総鎮守。品川貴布禰大 明神、天王社と称す。天正十九年家康公より神領を寄進され歴代将軍より庇護を受ける。東京 遷都の際には明治天皇の内待所となり、菊花御紋章を賜る。尚閣下の御幸は四度に上る。天王 祭神面神輿海中渡御は全国に知られる。
当山一心寺は江戸時代末期安政二年に当時の世上開国日本幕開けの頃、品川の土地に町民ー 体となり町内発展と守護の為創建、旧東海道筋において当山は裏鬼門の方角に向いて守護する 寺であります。本尊は不動明王であり、代々住職は大本山成田山、高野山、智積院にて弟子が 住職を勤めております。
正安元年の創建と伝えられ、天台宗明鏡山善光院養願寺と号し、ご本尊は虚空蔵菩薩を安置 する。福徳智恵のご利益を授かる丑寅年生まれの守り本尊として信仰を集め「品川の虚空蔵さ ま」と呼ばれている。本堂に鎌倉時代製作善光寺式阿弥陀如来三尊、江戸時代製作の不動三尊 像、布袋尊が安置されている。
文治三年(1187)、源頼朝公が安房国の洲崎明神(天比理乃嘩命)を当地にお祀りしたのを創 始とする。後に鎌倉時代末に二階堂道^®公が宇賀之売命を、室町時代中頃に太田道灌公が素議 鳴尊を祀る。また徳川家康公は関ヶ原合戦出陣の際に当社にて戦勝をご祈願され、以降、徳川 歴代将軍により庇護を受ける。
参【一部引用:七福神めぐりヴェブ検索・他】