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金井原古戦場跡の碑

南北朝時代の正平7年(13 5 2)南朝方の新田義貞の子義宗・善興等が宗尊親王を奉じて上野に(現群馬県) に挙兵、武蔵野を舞台に北朝の足利尊氏と戦った。世にいう武蔵野合戦である。同年閏2月2 0日、2 0万騎に 及ぶ大軍勢が人見原(府中市若松町)カゝら金井原にかけて戦いを繰り広げ、その後、尊氏は石浜(台東区)へ軍 を動かした。昭和11年3月4日に東京都史跡(昭和30年旧跡に変更)に指定されている。昭和34年に霊園通りと 小金井街道の交差点に{金井原古戦場}碑が建立された。

浅間山公園

1970(昭和45)年都立公園として開園、標高79.6mの小高い丘で、コナラ、クヌギ、イヌシデなどの雑木林でおおわれた 武蔵野の面影を残す自然豊かな公園です。また日本で唯一の自生地として有名なムサシノキスゲをはじめ、キンラン・ ギンランなどの山野草や野鳥•昆虫が生息する自然の宝庫です。

浅間神社

山頂には円形の古墳があり、その上に浅間神社(人見浅間神社)の嗣がある。堂山の頂上に鎮座する。祭神は 木花開那姫命。祭日は、4月1日。神社誌によると「祭神木花佐久夜比命」•由緒鎮座の起源年月未詳 社殿 間口二尺奥行二尺但し「石ノ宮」境内百坪 立木十五本 信徒五十九人」となっている。ご神体は十一面観音 立像。

人見稲荷神社

人見稲荷神社は寛喜3年(12 3 2)武藏左衛門尉資頼が三所之宮を造営、武蔵国造武比命を祀っていたこと から六所宮客来三所之宮と称されたと言います。慶長2年(15 9 7)稲荷神社等を合祀し、稲荷社と改称、 社領十石を賜ったと言います。

上染屋八幡神社

上染屋八幡神社は府中市白糸台にある八幡神社です。上染屋八幡神社は正慶2年(13 3 3)上野国碓氷郡八 幡より武蔵国府に遷座、本地仏に弘長元年(12 61)の銘文が残されているといいます。正平11年(1356)武蔵守 新田義宗が社殿再建、承応2年(1653)八月多摩川洪水にて社地が流失したため当地へ遷座上染屋村の鎮守社 だったといい、明治8年村社に列格したといいます。

上染谷不動堂•銅像阿弥陀如来立像

鎌倉時代の弘長元年(1261)、上野国八幡庄にて像立された善光寺式の阿弥陀像である。
鎌倉時代末の元弘3年(1333)、南朝の忠臣・新田義貞公が鎌倉攻めに際して陣中守護のため奉載したと伝わ る。承応2年(1653)に玉川洪水のため染谷に移される。明治初期に一時行方不明となり、めぐりめぐって 徳川宗家第十六代の徳川家達公爵の所蔵となった。しかし、徳川公爵の夢枕に「染谷に戻して」と立ったこ とから、再び染谷の地に安置された。

          一部引用:ウイキペディア、他

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