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名所 薩埵(さった)峠

 江戸時代の旧東海道由比宿と興津宿の間に位置する標高93メートルの峠で昔 から富士山を望む絶景の景勝地として 知られており、歌川広重の浮世絵「東海道五十三次・由比」でも有名。
晴れていれば富士山や伊豆半島、手前を走る東名高速道路、国道1号線、それに、東海道本線などの構造物を一望にできる 絶景ポイント。峠の出口から由比駅の道沿いには、くぐり戸、格子づくりなどの旧家が見られます。    *薩埵(さった)峠のコース概要* 白髪神社駐車場からの峠越えになり歩行距離は約4Kmで白髪神社駐車場から墓地まで200mは上り坂墓地から薩埵峠道票 まで約150mは急な階段です。
薩埵峠道票まで登ればあとはほぼ平坦か下り坂になります。
薩埵峠道票からは先のコースは前面に富士山や眼下に駿河湾を眺めながらになります。

清見寺(せいけんじ)

  1300年の歴史を刻む東海の名刹、臨済宗妙心寺派の寺院。680年頃、東北の蝦夷に備えてこの地に関所が設けられ、 清見関と呼ばれた。のち関所の鎮護として仏堂が建立され、この仏堂を以って清見寺の始めと伝えている。
今川義元の人質だった幼少期の家康はこの寺で教育を受けた「手習いの間」が残っている。
庭園は名勝として国指定の文化財に指定されている。
本堂の左手には、江戸時代中期に仏教の興隆を祈って彫刻された釈迦如来の弟子の石像、五百羅漢石像が並んでいる。
また、江戸時代に東海道を往来していた朝鮮通信使の宿泊を受け入れていたそれらにまつわることから、資料も残されていて、 総門に掲げられている「東海名區」(とうかいめいく)も当時の通信使による筆だそうです。
重要文化財の宋版石林先生尚書伝(そうはんせきりんせんせいしょうしょでん:宋代の尚書注釈書)や、朝鮮通信使の関連資料、 ユネスコの「世界の記憶(世界記憶遺産)」全333点の内46点が所蔵されています。
山門上部にある欄間の彫刻は、日光東照宮の眠り猫の作者として有名な左甚五郎の弟子によって製作。

興津坐漁荘(ざぎょそう)

 最後の明治の元老西園寺公望公が政治の最前線から引退した後、別 邸として1920年に建てられた。政治 の中枢から離れ、『のんびりと魚釣りでもして過ごすつもり』という意味を込めて『坐漁荘』と命名。
300坪の敷地に京風数寄屋造り二階建て。一見質素な作りであったが、木材は上質で、外壁はヒノキの皮で葺かれていた。 建物は明治村に移設され、数寄屋造住宅の貴重な現存例として、重要文化財に指定。
現在の建物は平成16年(2004)図面を基に忠実に再現されたもの。

由比(ゆい)宿

 東海道16番目の宿場町。桜エビとシラスの漁業基地としても有名。
旧東海道の約1kmに、なまこ壁や格子、土蔵のある家などかつての宿場町の面影が強く残っている。 由比宿の本陣跡地、由比本陣公園には、静岡市東海道広重美術館ほか、東海道由比宿交流館、由比本陣 記念館「御幸亭」、芝生広場がある。由比本陣公園の向かい側に江戸幕府三代将軍家光の死去に際して、 幕府転覆を企てた軍学者・由井正雪の生家と伝わる「正雪紺屋」があります。

興津(おきつ)宿

 東海道17番目の宿場町。東海道と甲州街道との交点であったため戦国時代は清見寺を中心に度々戦果に 見舞われた。歴史的建物は清見寺、清見関(きよみがせき)跡、坐魚荘、龍津寺(りょうしんじ)、宗像神社 などがあり、日本の製餡(あん)業発祥の地でもあります。

     【一部引用:ウキペディア(フリー百科事典)他】

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