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北野天満神社

北野天満社の創建年代等は不詳ながら、横山党の一族が京都北野天満宮をこの地に勧請、当地地名の由来 となったといいます。天正19年(1591)徳川家康より社領5石の御朱印状を拝領、北野村の鎮守社だったと 天満社の末社塩竈神社軍神・開運漁業の神様。境内には1600年代に植えられたとされるケヤキの巨木がある。

打越弁財天

打越弁財天は、梅洞寺塔頭の一つである輝西軒に由来する。輝西軒は、梅洞寺第五世水月青公和尚を開山 として建立され、弁天堂の開創は天正年間(1573~91)と推定される。かって八王子は織物の街として養蚕業 が栄えていた。養蚕が盛んな市内各地では、丹精こめて育てた繭をねずみに荒らされ困ることから、ねずみを 退治してくれる「白蛇」を御神体とした弁財天信仰が盛んになった。その中でも打越弁財天は、鑓水より始まる 絹の道(シルクロード)に最も近く、関東近県より大勢の信仰を集めていた。江戸中期より、例年八十八夜の 日に大祭が行われ、十二年に一度の「巳年」には、霊験あらたかな秘仏弁天様がご開帳された。 養蚕が盛んな頃は、盛大な開帳特別祈祷が行われ、各地から数千人の信者が訪れたといわれる。

梅洞寺(ばいどうじ)・臨済宗

金湯山と号し、寳翁惠真(明応3年1494年寂)が開山となり創建、江戸時代には寺領7石の御朱印状を拝領し ていたといいます。本尊釈迦木の坐像。当寺から約600メートル南南東に「打越弁天堂」があり、当寺の境外 仏堂で、弁天堂内の弁才天像は、祭礼時のみ安置され、通常は当寺の本堂に安置されている

片倉城址公園

片倉城は平山城で、扇谷上杉氏の家臣長井氏が拠ったとされる。現在片倉城跡公園として整備 され、東京都指定文化財である室町時代に築城された片倉城の城跡と周辺の優れた自然環境の保全を目的 とした公園です。二の丸広場周辺の空堀などに城跡の遺構を見ることができます。
また、カタクリ・サクラ・ヤマブキソウ・菖蒲等の花々が次々と移り替わりながら咲くほか、 カワセミ等の野鳥、ホタル等の昆虫や水棲生物など、多くの生物も見られます。

松門寺(しようもんじ)・曹洞宗寺院

松門寺は、鶴壽山と号し、開山僧は不詳ながら延徳元年(1489)に創建、江戸期には寺領7石の御朱印状を 拝領したといいます。本尊虚空蔵の木像.

斟珠寺(しんしゅうじ)・臨済宗南禅寺派

常龍山と号し、春林西堂(永禄12年1569年寂)が開山となり斟珠庵と称して創建、慶安年間(1648-1651)に は江戸幕府より寺領5石の御朱印状を拝領したといいます。寺の西の方池の中嶋に境内の鎮守の辨天社 があり、片倉城の嫡子の内室が信法した地蔵菩薩がある。

雲竜寺・曹洞宗寺院

天海山と号し、随翁舜悦を開山に迎えて法庵伝光が天正8年(1580)本郷に創建したといいます。 無縁貧困者の無付届寺として建立され、「本郷村の投込み寺」と呼ばれた。
本山は福井県永平寺町の永平寺と横浜市鶴見区の總持寺の2寺。

    【一部引用:猫の手、ウィキペディア、他】

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