全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社。 長野県の諏訪湖を囲むように、南側に上社前宮・本宮、北側に、下社春宮と秋宮の四社からなる神社です。 創建は古く、古事記の国譲り神話にまでさかのぼり、最も古い神社の一つとされています。 なかでも本宮、春宮、秋宮は本殿を持たず、自然そのものを御神体とする古来からの信仰の姿を現在に伝えています。
本殿が設けられていない。赤石山脈北端の守屋山北麓に鎮座する。 社殿6棟が国の重要文化財に指定され、社叢は落葉樹からなる自然林で長野県指定の天然記念物に指定されている。
本宮の南東約2kmの地に鎮座する。諏訪の祭祀の発祥地とされる。境内には水眼川(すいががわ)が流れる。 上社の中で一番古い社で、かつては祭事の中心地でもあった。
下諏訪の町の東端に鎮座する。東方には承知川が流れている。毎年8月-翌1月に祭神が祀られているため、秋宮とよばれている。 境内は社殿4棟が国の重要文化財に指定されている。 周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯がある。社殿の形式は春宮と同じで、古くは秋宮・春宮間で建築の技が競われた。
下諏訪の町の北端、秋宮の北西約1.2kmの地に鎮座する。下社最初の遷座地とされる。西方には砥川が流れている。 毎年2月-7月に祭神が祀られているため、春宮とよばれている。境内は社殿3棟が国の重要文化財に指定されている。
諏訪大社の社殿の周囲四隅には、御柱(おんばしら)と呼ぶ以下4本のモミの柱が建てられている。 御柱は一から四の順に短く細くなり、上空から見た場合に時計回りに配置される。配置は一之御柱(社殿右手前) 二之御柱(左手前)三之御柱(左奥)四之御柱(右奥)、諏訪大社の御柱は寅と申の年に建て替えられ(御柱祭)れる。
かつては諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城(すわのうきしろ)」と呼ばれていたが、江戸時代初めに諏訪湖の 干拓が行われ、水城の面影は失われた。 1970年(昭和45年)には本丸に天守・櫓・門・塀が復元され、高島公園として整備され、2017年(平成29年)4月6日 続日本100名城(130番)に選定された 城内1階は「企画展示コーナー」「情報コーナー」となっていて、2階は「築城」「藩主」「藩士」「藩政」のテーマごとに遺品や 資料を展示し、3階は諏訪の平を一望できる展望コーナーになっている。
【一部引用:諏訪大社HP、ウィキペディア、他】