以前は「弘徳院」と称していたが、寛永10年(1633年)に、世田谷が彦根藩の所領地となり、井伊家の菩提 寺として伽藍を創建し整備した。その後、万治2年(1659年)2代藩主井伊直孝の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」に因み、 豪徳寺と改称された。 招き猫発祥の地とする説がある。豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音を祀る「招猫殿」を置く。 招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。ちなみに、招福猫児は右手 を上げており、小判などを持たない素朴な白い招き猫で、境内には大小1万体以上の招き猫が並んでいる。 招福猫児は、人を招いて「縁」をもたらしてくれますが、福そのものを与えてくれるわけではありません。 人との大切な「縁」を生かせるかどうかは、その人次第。報恩感謝の気持ちがあれば、自然とその人のもとに 福が訪れる、という教えから、小判を持たず、右手だけをあげています。
幕末の思想家・教育者である吉田松陰、および彼の門人である伊藤博文、山縣有朋はじめ、松下村塾の生徒 を祭神とする。学問の神として崇敬を受ける鎮座地にはかつて長州藩主の別邸があった。 松陰が安政の大獄で刑死した4年後の1863年(文久3年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰 の墓が当地に改葬され、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建された。
昭和15年に開園した世田谷区内唯一の「歴史公園」で「東京都指定文化財」にもなっている。 天守閣はなく、土塁と空堀で造られた中世の城跡で、三方を烏山川が囲み、城址公園が砦、 豪徳寺が居館と想定されています。公園内には、昔のおもかげを残す土塁や丘、谷があり、 樹木に覆われた自然豊かな公園で、世田谷百景にも選ばれている。
明治21年築、麻布に建てた英国風洋館。昭和8年に豪徳寺に移築された水色の洋館。英国生まれの令嬢テオドラの為、 日本人の父である男爵が建てたと言われ、テオドラはのちにかつての東京市⻑・尾崎行雄の後妻となった。 外観は目を引く水色の板壁。二階窓の上部は白く塗り分けられている。 取り壊されるはずであったが、漫画家・山下和美が中心となり保存を求める団体が活動し、老朽化した建物 の修復保存費用をクラウドファンティングなどで募り維持管理し、ギャラリーと喫茶室を併設し、漫画の原画展を中心に展覧会開催、 漫画愛好家の聖地となっている。展示会によっては原画の即売などをしている。(入館有料)
三軒茶屋と下高井戸を結ぶ約5Km10駅の路線。 大正14年1月18日、三軒茶屋駅〜 世田谷駅間が玉川電気鉄道(玉電)の下高井戸線として開業、同年5月1日には残りの 世田谷駅 - 下高井戸駅間が開業。現在でも旧称の「玉電」と呼ばれている、歴史のある鉄道。 平成31年3月25日から、日本初となる試みとなる利用する電力は100%再生可能エネルギーとなっています。 環七通りと平面交差する西太子堂駅 - 若林駅間の若林踏切(西太子堂5号踏切)では、電車が信号待ち。
【一部引用:世田谷区HP、ウィキペディア、他】