金山神社の創建については、明らかでない。しかし中世に鍛冶職であった小町大膳左京主水が、 鍛冶の神である金山神を邸内に祀ったことに由来すると伝えられる。江戸後期の地誌「新編武 蔵風土記稿」によれば、金山社除地100坪、小名下にあり。社は3尺四方、上屋1丈に2間 東向・金山権現、御嶽権現をも合せ祭れり。神体なし。会殿なれども金山とのみ称し額にも只 金山扁す。社前に鳥居をたつ。其廻りに古木4 9尺、村の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)
狭山公園は昭和12年に開園し、桜や紅葉、美しい湖の景色を眺められることから、長く景勝 地として親しまれてきました。春は広場に植えられたソメイヨシノ、ヤマザクラ、サトザクラ などの趣の異なる様々なサクラ、秋は宅部池周辺のイロハモミジやハナミズキの紅葉やススキ 原っぱと、季節毎に見どころがあります。狭山公園パークセンター前のボランティアの手入れ による花壇では、四季を通じて美しい花を楽しめます。堤防まで足を延ばせば、多摩湖の雄大 な景色が広がります。
東大和市では(たつちやんいけ)東村山市では(やけべいけ)と呼ばれ都立狭山公園内にある 溜め池です。文献によれば、少なくとも江戸時代から存在しており、谷筋からの湧水を溜めて 周囲の水田に水を供給していました。都市化が進み水田がなくなった現在では、狭山公園の修 景池として親しまれています。近隣住民に聞くと、「昔は水が透明で、泳いだり魚を採ったりし て遊んだ」「池の南岸付近には八スの花がたくさん咲いていた」といった話が出てきます。以前 は、人と水辺の距離が今よりずっと近かったことが伺えます。
創立年月は不詳であるが、山口領氷川神明の分祀る。神域は狭山丘陵南の中腹にくらいし、宅 部川をはさみ、北を境村、南を日向村という。古くよりこの一帯を宅部と称し、三宅氏の居住 せしより氏の名称が起こった。現に里人は廻田宅部または下宅部と呼ぶ。
村山貯水池(多摩湖)と山口貯水池(狭山湖)は、東京都と埼玉県にまたがる狭山丘陵を利用 して造られたアースダム形式の貯水池です。村山貯水池は、西側(上流側)の村山上貯水池 東側(下流側)の村山下貯水池に分かれています。山口貯水池は、隣の村山貯水池と連絡管で つながり一体運用されており、小作取水堰や羽村取水堰から取水した多摩川系の水を貯留し、 東村山及び境浄水場へ導入しています。堰堤からは、奥多摩の山並みが一望でき、春の桜、秋 の紅葉バードウォッチングなど、四季を通じて豊かな自然を楽しむことができます。 重厚なデザインのドーム屋根、アーチ窓でアクセントをつけたタイル張りの外壁が特徴の村山 下貯水池の第一取水塔は、東京都の「都選定歴史的建造物」に選定されており、貯水池のシン ボルとして親しまれています。
【一部引用:ウィキペディア、他】