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二ケ領用水(宿河原橋)

全長3 2キロの二ケ領用水の名は、旧稲毛領と川崎領の二ケ領の農地に水を引くために江戸 時代初めに建設された人工用水です。用水は慶長16 (1611)年に代官小泉次太夫によって完 成しました。それまで、このニケ領は水利事情が不便で、水田工作による農業生産基盤が脆弱 でした。二ケ領用水完成により、米の収穫量が飛躍的に伸びたと伝えられています。百年後、 欠損、荒廃が進んだ状況になりましたが、享保9 (1724)年、本格的改修工事を経て現在に至 っています。明治以降は、横浜水道の開設(明治6年)などにより、飲料水、工業用水として も利用されました。また、生活用水としても、近年まで利用されていました。中野島から取り 入れられた水は、紺屋前の堰に至り、ここから新田掘、高田堀、水車堀、東堀、鮒堀などに分 かれて、登戸一帯の耕地を潤しました。堰の名として残る「紺屋」も用水を利用した藍染め屋 が近くにあったことに由来しています。現在も、市北部では農業用水として、あるいは、環境 用水として利用されています。今回歩くのは、宿河原橋から二ケ領宿河原堰までです。

ニケ領せせらぎ館

ニケ領用水宿河原堰のそばにあり、多摩川について教えてくれるミニ資料館。展示室には多 摩川に棲む魚のミニ水族館、パソコンを使った川の環境情報の検索、宿河原堰の模型などがあ り、床には、源流から河口まで13 8kmの流域を写した多摩川の航空写真が埋め込まれている。 「多摩川工コミュージアムプラン」の運営•情報発信の拠点として、情報•資料室、会議室な ども設けられている。平成11年3月に開館以来、年間2万5千人をこえる来場者を迎えてお り、平成2 3年3月には、来館者が2 8万人をこえました。

むいから民家園

狛江は、都心への交通の便も良く、高度経済成長期以降、急速に宅地化•都市化が進んで来 ました。かつては畑や桑園などが広がる江戸•東京の近郊農村でしたが、当時の面影を伝える 景色や生活の様子をとどめる建造物はほとんど失われてしまいました。園内には、市内に残さ れた江戸時代の数少ない建造物として、旧荒井家住宅主屋1棟と旧高木家長屋門1棟が移築・ 復元されています。元和泉一丁目に残されていた旧荒井家住宅主屋は、小田急線の連続立体交 差•複々線化事業により取り壊されることになってしまった。平成3年、市民有志が旧荒井家 住宅主屋の解体・保存を要望するとともに解体»調査を行いました。この市民による保存運動 を受け、古民家復元事業は市民と行政が協働ですすめるワークショップ方式で進められました。 ワークショップでは、建物の配置計画や管理運営に関する検討を行うとともに、復元工事にあ わせて、上棟式や土壁塗り等、市民参加の行事も実施した。そして平成14年4月むいから民 家園は開園しました。その後平成22年には旧高木家長屋門が移築・復元されました。

        【一部引用:ウィキペディア•各種パンフレット•他】

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