この一帯は今から1,300年前、古代武蔵野国の中心「国府」の跡で、この広場には国司の公邸があった また、徳川将軍家が鷹狩などで宿舎として使用した「府中御殿」があった。 「国府」は奈良時代から平安時代に作られた令制国(全国を国として区分。それぞれの国に名前を付け 明治維新までその国名が使われた「武蔵の国、相模の国、甲斐の国」など)を統治するための施設が 置かれた場所。統治するため都から派遣された「国司」が儀式や政治を行う「国庁」や行政事務を行って いた役所群の「国衛(こくが)」、役人や兵士等の宿舎、学校、民家などが広がるエリアが「国府」
塚の上には、多摩地区最古となる康元元年(1256)の板碑が建ててあり、「板碑の立つ塚」として、 昔から注目されてきました。 元弘3年(1333)の分倍河原の合戦で亡くなった三千人の戦死者を埋葬した墳墓であるという伝承が残 されていますが、平成17年の学術調査で塚の東側から、石にお経の文字を写した「礫石経」が大量に 出土し江戸時代に造られたものであることがわかりました。 三千人塚は、鎌倉時代から室町時代の在地の有力者一族による小さな塚(墓)の点在した場所が、江 戸時代には信仰の対象となり、地元の文化財として今日まで大切にされてきたといえます。
約14万平方メートルの敷地全体で府中の自然、地形、風土の特徴を表現し、その中に昔の農家や町屋、 歴史的な建物などを配置することで、野外を含めた「森」全体を博物館として、府中の自然と歴史を楽し むことができ、整備された自然豊かな園内を散策できます。 園内は多くの野鳥が見られ、1月はロウバイが、2月には梅まつりが5月から6月はアジサイ祭り、6月か ら7月はスイレン、9月は曼殊沙華祭り、11月から紅葉と季節ごと四季折々の花を見ることができ、 夏にはお子さんが安心して水遊びのできる広い「水遊びの池」があります。 令和6年7月にリニューアルした博物館には、最新式のプラネタリウムや毎年4月30日から5月6日に行わ れる大國魂神社の「くらやみ祭り」に使用される品や映像、国府の誕生の映像、大きなジオラマなどが 展示されています。
採れたての府中市産の野菜や季節の果物などの地元農産物を販売する「野菜コーナー」や市内業者 のお菓子や観光関連グッズを販売する「お土産品コーナー」、市内の観光スポットやイベント情報を提供 する「情報提供コーナー」、府中市産の食材を使用したメニューを提供するレストランがあります。
【一部引用:府中市郷土の森博物館運営グループパンフレット、ウィキペディア他】